ま、それはそれで悪いことではないのですが、日記が書けないのは寂しいものです。
さて。
今日はアルクで「フィリピン」という単語を調べていたら、壕の中に閉じ込めてガソリンで焼いたとかなんとか、凄い例文だな、と思ったのがあったのでちらっと調べてみましたら。
栗原貞子さんという方の「ヒロシマというとき」という詩の一文でした。
全文はこちら。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/KURIHARA/hiroshimatoiutoki.html
私は今までこの詩は知らなかったのですが(教科書とか載っていたこともあるみたいです)。
奥が深い(といっていいのかどうか)詩で、こういったものこそ、全部の教科書に載るべきなんじゃないかな、と思いました。
こんなに印象に残るものを、覚えていないということはないと思うので、私は学んでないと思うのですが。
多分、私の世代はこういったちゃんとした生々しい内容はきっと、載せられなかったんだろうと思いますが。
結局、国だって人間だって、被害者意識のほうが強くなるものなので。
ヒロシマというだけで被害者一方の見方だけじゃあなく、その前に加害者であったという事実に目を向けてこそ、意味のあるものですよねぇ。
こういった詩も、ちゃんと学校で学べるようになるといいな、と思います。
過去を語れないというのは、昇華できていないということですから、何十年も経つのに許すことも許されることも叶わない人間っていうのは、面倒な生き物ですよねー。
なんて、ふと思った仕事中でした(仕事しろよ)
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忙しそうだね~私は次の行き先を決めるのに疲れてきてしまった。
結局は行きあたりばったりになるのかなぁ。苦笑
やりたいことが一杯あるんだけどスケジュールが組めそうにありませんわ~ん。
そして、例のアレなんですが、カメラを友人宅に置き忘れると言う始末です。今週末までには必ず送らせていただきますので。すみまそん。㎜
あれ、まだ次の行き先決めてなかったの?まァ、行き当たりばったりでも、なんとかなるさー!
例のあれですな?
今週末なら、私も家に居る可能性が高いので、お待ちしておりますですよーう!